そんなこんなで

いっぱい書きたいことあるのに構えてるからダメなんだなと気づいた。

箇条書きでもいいからとりあえず書くぞ書くぞ書くぞ書くぞ…

 

<最近の出来事>

・じんましんが出来た

・胃が痛くて大変

宇多田ヒカルの新譜ばっかし聴いてる

 

最近の仕事は、写真スタジオの管理の手伝いを月に2、3回、それとインターネット関連のオフィスでライティングのバイトも始めた。カレー屋さんも辞めた訳ではないのでお声がかかったら入ろうと思ってる。こんな風に仕事を掛け持ちするのは初めてなのだけど、なんだかとっても自由な気持ちがして、とても良い。そもそも仕事はひとつしかやっちゃいけないなんて決まりはないのに(厳密にはあるのかもしんないけど、今のわたしのようなアルバイトの立場だったら)子どもの頃から将来の夢とかやってみたい職業とか、何かひとつに決めなきゃいけないものと思い込んでいた。なんでだろうねえ。

 

最近こうやって、昔からの思い込みに気づくことがよくあって、それがとても楽しい。普段の子どもへの声がけひとつをとってみても、自分が世の中に対して感じてる事が反映されている気がする。わたしはびびが道を歩いてる時によそ見してたりするといつも「危ないよ、車に轢かれるよ!」と声をかけていたのだけど、よくよく考えてみたらそんな訳なかろうと思う。現に自分は今まで何十回、いや何百回何百万回とよそ見したり歩道をはみ出して騒いだりして歩いてきたけど、まだ一度も轢かれた事はない。なのに子どもには当たり前のように「轢かれるよ!」と言っているのは何故なのか。世の中はそんなに怖いとこなのかしら。

 

今まであった怖い事を思い出してみる。

小田急代々木八幡駅の階段のはじっこで初めて痴漢に遭った。

4年生ぐらいの頃だったか、はっきりは覚えてないけれど、その時の自分の服装は覚えている。赤と白のボーダーのポロシャツに白いショートパンツだった。ポロシャツの胸ポケットに学校でもらった運動会のバッジだか何かをいれていて、だから痴漢に遭った瞬間はそのバッジを盗られたのかな、と思った。触られた瞬間は頭の中が真っ白になった。それから、階段の手すりをノロノロ降りてたからいけなかったのかな、とか、胸ポケットにバッジを入れてたのが悪かったのかな、とか色々考えながら帰路についた。

家に戻ってからの事はあまり覚えていない。母に話したのは何となく覚えているけど、その時もはっきりと「胸を触られて怖かった」とは言えなかったような気がする。

それから中学に進学し、電車通学をするようになって、満員電車で通っている友だち達から毎朝壮絶な痴漢バナシを聞くようになった。その頃わたしたちは、痴漢に遭って当然と思っていたような気がする。

それから高校2年の帰り道、午後8時ぐらいだったと思うのだけど、バスを降りてから家までの路地で後ろから走ってきた人にいきなりスカートをめくられた。その時も瞬時には声が出せなかった。頑張って出したけど喉がつまって何か変な声が出た。確か春先だったと思うのだけど、生温い空気がまとわりついて、更にその恐怖の瞬間はスローモーションのようだった。だけどその時も、帰り時間が遅くなったのがいけなかったのかな、とか、スカート丈を規定よりも随分短くしてるから悪かったのかな、とか思った。この話は帰ってから母にも姉にも話したし、翌日学校の友だちにも体育の女の先生にも、色んな人に話した。みんな爆笑したのでわたしもだんだん面白バナシとして話すようになったけど、だけど未だに暗い住宅街をひとりで歩く時には恐怖感が伴う。

 

恐怖体験といって真っ先に思い出すのはこのふたつ。

両方とも何故か自分が悪かった経験として身体の中に残ってるような気がする。